色絵
伊万里焼がヨーロッパで広まったは、勝手に広まったのではなく、陶器商人の努力がありました。
中国の内乱に伴う貿易禁止により、中国の景徳鎮で生産されていた磁器に代わるやきものを探していた貿易会社。彼らは伊万里焼に目を付けました。まだ立派なやきものではなかったものの、景徳鎮の磁器と似たようなものが伊万里で出来ていたからです。
伊万里焼の陶器商人たちは、このチャンスを逃すまいと、様々な工夫や努力をします。ヨーロッパの人々がどんなものが好みかを調べあげたのです。伊万里焼の白い素地に青色で描かれた染付から、次第に赤絵の技法が伝わり、そしてヨーロッパの人々に大人気の柿右衛門様式が完成されていきました。この赤絵の技法を日本に伝える事に大きく貢献したのが、伊万里の陶器商人…東嶋徳座衛門だと言われています。(長崎で「志いくわん」という唐人から大金を使って伝授され、喜三右衛門とともに開発したの旧記に記載されています)そして、初代柿右衛門にその技法を伝えたのでした。
伊万里焼がヨーロッパで押しも押されない人気商品になったのには、伊万里の陶器商人がヨーロッパでどのようにしたら売れるか情報を集め、売れる道筋を探し続けた結果だと言えるのではないでしょうか。
これからも素敵な伊万里焼がご紹介できるように…また、先人の方々の努力の結果が、こんなに美しい技法と技術をつくった事をご紹介できるように、私も日々精進しようと思うのでした。
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